Preset Tuner
明日が来なければ今日を精一杯生きるのでしょう?
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定食屋にて
カウンター越しの小さな女の子が彼女にそっくりで思わず笑う。
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意識の距離感
「嫌だ」とか「直せばいいのに」とか、
少しでも気になったことは放っておいても、
すぐに忘れて、どうでもよくなってしまう。

また、同じことがあったときでもずっと「嫌」なままだ。

もし、キミが目の前にある「嫌」なことを変えたいなら、
その足が重くても、キミが歩を進めなければ変わりはしないよ。
誰かのために時間を使うということとその責任
少し前のことを書こうと思う。

その日は少し遅いゴールデンウィークをとった後輩が帰省先から戻ってくる。
2日前から「駅に迎えに来てもらえませんか?」との依頼があった。
後輩の指定した時間はすでに終電のない時間なので、間違いなくあてにしている。

先輩を後輩が迎えに行くって?
・・・なんて疑問が心の片隅に少し浮かんだが、大した用事もないので、
「いいよ」と承諾した。

ところが、前日になり別な予定が入って、ちょっと遠出することになってしまった。
これでは電車が遅れたりしたら迎えに行けないかもしれない。

そこで、身近な同期に
「もし、間に合わなければ変わりに迎えに行ってもらえないか?」
と依頼してみた。

彼は相手の気持ちを許容できる人なので、
きっとわかってくれるだろうという考えが自分にあったと思う。

互いの認識を一致させるのに十数秒。
そして、彼が口を開いた。

「あのさあ、できないなら安請け合いしなきゃいいじゃん」

これは、自分の心にグサッときた。
ああ、これは誤ったことをしたな、と。

彼は「こういう人もいる」と許容することができる一方で、
自分の身に降りかかることにはハッキリと自分の意思を伝える人だ。

今回、自分が迎えを引き受けたのは誰に強制されるでもない、
あくまで自分自身の「善意」でしかない。

自分はそれを彼に任せようとした。
つまり、自らの善意を他人に代行してもらおうとしたのだ。

最早それでは自分の善意はどこにもない。

今回、間に合わないかもしれなかった理由は自分自身のエゴにも原因はあった。
なかなか会える機会の少ない彼女のために時間を作ってやりたかったという理由もあった。

「自分の都合のいい時間に合わせて先輩を呼ぶ後輩」
「彼女に会う時間を捻出するために善意を代行させようとした自分」

では、どうすれば良かったのか。自分の出した結論は、

自分の好きでしていることは最大限自分が責任を持つということ。

なぜなら、他ならない自分のためだから。

おそらく、次に後輩のエゴで迎えに来てもらうようなことがあれば、
自分はおそらく行かないだろう。

そうすることが、お互いのためであると思う。





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