Preset Tuner
明日が来なければ今日を精一杯生きるのでしょう?
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ストップ
ここ数週間、仕事に追われている。

平日は押し寄せる作業に追われ、休日の過ごし方も考える余地がないくらいに。

先日彼女にも「寝言で敬語を言ってた」って指摘されてしまった。

休日は休日で日頃の疲れかストレスか。
急に体調を崩してしまうことが多い。

先週末も仕事が山積み。
しなきゃしなきゃと思ってみても、1日の目標に掲げた所までたどり着けない。

ふと、考えることがある。

「こんなことをしていて幸せになれるのか?」

追記する予定だけれど、書くきっかけになったのはとあるエントリーで、自分自身、毎日そう考えている。

「幸せ」って言葉は抽象的で大分あやふやな言葉だけど、周りのみんなの顔を見て考える。

疲れきったみんなの顔を見て、どうしてもみんなが幸せになれそうとは感じられない。

幸せと苦痛は比例しないと自分自身が感じているから。
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三年目
今日は仕事の送別会。

会の企画には携われなかったものの、やはり寂しい気持ちはある。

会自体は無事に幕を閉じた。
送った人に対してきれいな涙を流す人がいたから、これはいいものだろうな、と感じていた。

ただ、会を終えた人たちの顔は様々で。

複雑そうな顔をしている人に話しかけたら、会費の不満がでたり。

人づてに裏では気持ちよく送り出していくばかりではないという話も聞いた。

少しモヤッとした気分を残したまま二次会へ。

口ではツラいといいながら、飲食代を払う。
本意での参加じゃなかったので、気が進まなかった。

帰り道、素直に「今日は奢ってください」と言えば奢ってやったと言われた。

なんだろう。

今日の一次会の席でも「かしこまりすぎ」と言われて。

不本意な気持ちを晒せば押さえつけられて。

社会人としてどんな言葉を求められてるのか、未だわからない三年目。
18
18になったら、その先なんてないんだ。
なんて考えていた時期がある。

もちろん、こうして18を過ぎた今もこうして生きているのだけれど。
どうしようもなく、そんなことばかりを延々と考えていた。

当時、高校を卒業した先が全く見えていなかった。
先が見えないのは今も同じなのだけれども、生きてる理由も生きてく意味も感じられなかった。

頭の中では「このままじゃいけない」と思いながらも、
何もせず、何もできず、移ろう日々に身を委ねていた。

18の誕生日、何も変わらなかった。何も起こらなかった。
そのうち、変化を求めることもなくなるだろうと思って、自分の感情ごと放っておいた。

気持ちを押し込めることには慣れていたし、毒にも薬にもならない日々を過ごしていくのだとずっと思っていた。

ゲームで例えるならバッドエンド一直線だと自分自身を卑下していた。

けれど、生きてくことは優しくないのだ。
単にバッドエンドで終わらせてくれるほど世界は優しくない。


翌年、自分の好きなことを自分のペースで始めた。
未だに完成していないし、見込みもないぐらいだ。

メモ帳をつけ始めた。
3ヶ月経って、好きなことでびっしり埋まった。

退屈な毎日に飽きて、イベントや人の集まるところに出向くようになった。
今までの人生で学んできたことがいかに少なかったか、密度の濃い時間を過ごせた。
おかげで沢山の恥をかいて、自分を主張して。
今まで躊躇っていた自分を曝け出せるようになっていった。

小さい頃に無理だと、叶わないことだと思っていたことが少しずつだけれど実現していくのを感じていた。

周りから見たら大したことじゃなくても。

今までの自分ならこんなことを書いて公開したりしないのだけれど、それは拒絶であり、周囲の理解を拒むことで自分の価値観を打ち砕かれることが怖くて自衛していたにすぎなかったんじゃないだろうか。

誤って、謝って。
生きてく。


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六畳他一

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